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赦されるために反省しているわけではない、けれでも、赦されたい

2024-03-06 Wed.

反省や後悔は本人のためのものである。相手のためではない。

相手からすれば、反省していようが謝罪されようが関係ないこともある。依然許せなかったり、そもそも無関心なのでどうでもいいということも往々にしてある。 だからといって反省しなくていいわけではない。しない方がいいわけではない。

僕は不器用なので、これから生きていく中でも反省、後悔するべきことはたくさんあると思う。 その過程で、僕のことを許せない人がまた増えていってしまうかもしれない。

だからといって開き直って反省も後悔もしなくなってしまっては無敵の人間になってしまう。 真人間であるために、傷つけてしまったとしてもそのたびに反省し続けなければいけないのだと思う。


過去全てに対してごめんなさいという気持ちがある。辞めてしまった会社、喧嘩してしまった上司、内定辞退してしまった会社。プライベートのことでもたくさん。

反省することで赦されたいと願うのは我儘である。赦されることを願って自分を変えていくことしかできない。

こんなことを書くのは、赦されないことがあるとわかっていても、僕が贖罪の意識に押しつぶされそうなことを誰かに理解してほしいからで、一方それすらも浅ましいなとも思っている。


それでも、せめて謝ってもいいかな。